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努力して狭い門から入る!

ハレルヤ!

皆さまおはようございます(^-^)

今日は夕方出勤です。

今日もまず御言葉から分かち合いさせていただきます。

■ディボーション・ ルカ13章22節〜30節

■22節〜27節

●イエスは、町々村々を次々に教えながら通り、エルサレムへの旅を続けられた。(22節)

●すると、「主よ。救われる者は少ないのですか」という人があった。イエスは人々に言われた。(23節)

●「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。(24節)

●家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、『ご主人さまあけてください』と言って戸をたたいても、もう主人は、『あなたがたがどこの者か、私は知らない』と答えるでしょう。」 (25節)

●すると、あなたがたは、こう言い始めるでしょう。『私たちは、ご一緒に、食べたり飲んだりしていましたし、私たちの大通りで教えていただきました。』(26節)

●だが、主人はこう言うでしょう。『私はあなたがたがどこの者だか知りません。不正を行う者たちみな出て行きなさい。』(27節)

■御心

■22節〜23節

イエス様は、町々、村々の所々で、「神の国のことを教えながら、エルサレムへ旅を続けていた時、とある人から「救われる者は少ないのですか?」という質問が入りました。

では、この質問に至るまで、

イエス様は「どんな人が救われないのか」を教えていたかを確認してみますと、

●パリサイ人や律法学者のように、神の掟に精通していて人々を教えるけど、自分に適用せずいつまでも悔い改めない人。

これは「偽善者」と呼ばれこうした偽善はいずれ暴露される。(ルカ12章1〜3節)

●人々をおそれてキリストが救い主であることを告白しない人。(同4節〜9節)

聖霊をけがす人。(同10節)

●自分は誰かと比べて罪深くないとし、自分は大丈夫だとたかをくくり、自らを神の基準に照らして悔い改めない人。(ルカ13章1節〜5節)

●「信仰を持っている」と外側に言いながら、内側では、自分中心な人。こうした人は外側で見える形で信仰による実を結んでいない。(同6節〜9節)

●教会内に「からしだねの木」のごとく神の国の広がりがあるも、

同時に悪いもの、鳥 (※自称クリスチャンで偽りのことを教えてたり、律法学者やパリサイ人のような振る舞いをしている人) が巣をつくり、

そこから「パン種」のごとく全体に悪影響を及ぼしている…。

この悪いものをいつまでも取り除かない者たち、あるいは、その悪い者たち。(同18節〜20節)

と、言った感じです。

■「狭い門から入る努力」をし続けること

で、これらの行いは、現代の教会になぞらえるなら、「キリスト・イエスのことを救い主である」と外側で告白しても、実は内心はそう思ってなくて、自分の思いのままに生きている状態であり、

●人が自分でありたい以上、簡単に出来ることなのです。

●また、それを見て合わせて生活することも簡単なのです。

だから、「広い門」なのです。

ここを悔い改めずに教会内で展開しているなら、再臨の時、25節〜27節のように言われても仕方がない。

この主を恐れている感覚は持っていた方が良いと思います。

■信仰を持つ者への御霊の導き

私たちは主イエスを信じる信仰によって救いが約束されてますが、

この約束にあって、

聖霊が与えられ、聖霊によって御言葉が分かるように導かれ、聖霊によって御言葉を自分の心を合わせて生活して行く努力をして行く」ハズ で、

●この努力こそが確かに「狭い門」です。

この心から出るものが、周りにも良い影響を与え「全体に良い実を結ぶハズ」なんです。

因みに、

●良い実とは、「御霊の実」(愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制)ですね。

■今日の御言葉

■ピりピ2章12節〜13節

●そういうわけですから愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いを達成してください。(12節)

●神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志しを立てさせ、事を行なわせてくださるのです。(13節)

アーメン

12節は人をおそれず主を恐れて狭い門から入る努力をすること。

そうすると、13節のように、主がその歩みを助けてくださる。

では、今日はこの辺で(^-^)

今日も皆さまの上に主の恵みのシャワーが降り注ぎますように☆